So-net無料ブログ作成
検索選択

あれから6年経ちましたか……

東日本大震災からもう6年が経つんですね。
早いものです。

錦秋湖の続きを載せる予定でしたが、ちょうど重なったので東日本大震災時を振り返ってみることにしました。

震災時は職場にいまして、マニュアルどおり近所の学校に一時避難。
すぐに帰宅となりましたが当時は車通勤をしていて、信号がほとんど機能していない状態で帰ることとなりました。

ずっと渋滞してましたが、道のりの半分(8km位)まで進んだところでほとんど進まなくなり、決断が必要となりました。
このまま待つか、それともどこかに車を置いて歩くか。
結局は一緒にいたs本さんの知人の所に車を置いて、歩くこととなりました。

そして数百メートル歩くと、進まなくなっていた理由が判明。
わりと内陸部だったはずですが、津波による瓦礫で進めなくなっていたのでした。
タイミングによっては、私も津波に流されてたのかもしれないと思うと、ゾッとしてしまいましたね……。

真っ暗な中を約7kmほど歩いて、やっと我が家に帰宅。
しかし、誰もいない。

母は叔父の見舞いに行って被災し、そのまま病院から出されなかったらしい。
父は荒浜で仕事中に被災し、車で帰宅中に津波に追われ、慌ててコンビニの屋根によじ登り難を逃れたと言う。
私は一人家を片付けて寝床を確保し、冷たくなったご飯を頬張り、ビールを飲んで寒さを誤魔化し眠ったのでした。

翌日、友人u氏が訪ねてきたので、自転車で周りの状況を見て回ることにしました。



110312_140600.jpg

まず塩釜のイオンに行ってみましたが、まるでゾンビが徘徊していそうな情景でした。
しかし、これは映画じゃないんだと思うと、複雑な気持ちになりましたね。



110312_141747.jpg

遊覧船の発着場であるマリンゲートも、まるで廃墟となってました。
私の本家が遊覧船を経営しているので、ここには親戚がたくさん働いてます。
幸い親戚も船も全て無事ではありましたが。

実はその船で、不幸にも被災してしまった観光客の宿泊受け入れと、炊き出しを行っていました(船は沖に出れば安全なので)。
市場関係や仕出し屋さんの協力で、結構豪華な炊き出しだったようです。



110312_153015.jpg

多賀城では石油基地が爆発し火災。
写真を撮った付近にも、石油が飛来して少々危険でした。



110312_152303.jpg
110312_151745.jpg

近くのお弁当屋さんは、こんな状況でたくましくも営業をしてました。
思わず、鳥の唐揚げとお茶を購入。
凄く美味しく感じました。

我々が購入したら、近所の人たちがわらわら出てきてお店に殺到。
まあこんな状況で営業してるなんて、まず思いませんからね。



110312_160017.jpg

津波の被害を受けていないスーパーには、人が殺到してました。
人は食べなければ生きていけませんからね。



110313_081145.jpg

震災から翌々日、社畜の私はとりあえず職場に出勤しようと国道45号線を自転車で走っていたら、まだまだこんな状態でした。
車に乗ってた人は無事だったんですかねぇ……。



110314_171804.jpg

当時同僚だったtkさん宅を訪ねたら、なんとお庭に舟が突っ込んでいる状態でした。
彼のお兄さんも消息がつかめてないとのことだったので、避難所という避難所を巡って名簿を確認し、「こういう人知りませんか?」と聞きまわったんですが結局安否は確認できず。
分かったのはどの避難所も殺伐とした雰囲気で、息苦しかったということだけでした。

実はtkさん、ちょうど東南アジアを旅行していた時に震災があったらしく、帰国したら仙台に戻れなくて、しばらく東京でホームレスのような生活をしていたそうです。
あまりにも彼らしくて、怒る気にもなれませんでした……。



110413_095726.jpg

これは矢本町在住で被災したs司さん宅に、片付けの手伝い&支援物資を届けに行った時の写真。
大量の瓦礫は運良く前の家でせき止められ、1階部分が浸水しただけで済んだようです。
この日も自衛隊の方々が、瓦礫の中から亡くなった人たちの遺体の捜索をしておりました。
s司さんはかなり疲れた表情でしたが、こんな光景を毎日見ていたら、そりゃ気も滅入りますよね。



110402_133218.jpg

吉野家のオレンジドリーム号が炊き出しを行っていたので、牛丼を無料でいただきました。
美味しかったです。
こういう支援はありがたかったですね。

支援といえば、当初は避難所にしか支援物資は供給されておらず、余った支援物資が倉庫等に山積みとなっていました。
そこで母は市役所に電話して、「避難所ばかりじゃなく、それぞれの家にも支援物資を配ったらいいだろ。大変なのは避難所にいる人間だけじゃないんだから」と、クレームを言ったそうです。
そうしたら、翌日から塩釜市では各家庭にも支援物資の配布が始まりました。
まあ他からも、同じような声は多数寄せられてたのかもしれませんけどね。

震災時は水不足が深刻でしたが、塩釜市にある2つの酒造メーカーの「浦霞」と「阿部勘」の仕込み水をそれぞれいただきまして、飲み比べできたのは思い出深かったです。
こんなこと、もう2度とできないと思いますし。
どちらの酒蔵も1kmと離れていないのに、水の味が全く違っていたのは驚きました。
そして仕込み水の味が、日本酒の味にこれほどまで関係があるとは……と感じましたね。



110528_193858.jpg
110528_180750.jpg

震災の1ヶ月半後、車のエンジンが壊れました。
粉塵をいっぱい吸い込んだからか、ハイオク仕様なのにガソリン不足でレギュラーを給油したからなのか、はたまたそれまで私が無理をさせていたのか……。

まあそれはそれとして、車を買い替えるかエンジンを載せかえるか決断を迫られました。
当時は津波で車を失った人々が、こぞって車を求めていた時期。
50万円出しても廃車寸前のボロボロの車しか買えない時期でした。
なので私はエンジン交換を選択、写真は修理から返ってきたばかりのところを撮影したものです。
スバルさんには、儲けがないんじゃないかと思うくらい安くしていただき、感謝しかありませんでしたね。

そんなこの車も、そろそろ手放そうかと考える15年目です。
両足首の怪我をしてからほとんど乗らなくなってしまったし、この車は運転するの凄く疲れるんですよねぇ。
本当によく曲がるし、止まるし、ボディーは丈夫だし、何より4駆なのでとても気に入ってるんですが。
こういう車は普通に走れば、基本がしっかりしてる分、どんな車よりも安全に走ることができますので。


震災を機に、私の価値観も大きく変わりました。
明日自分がどうなるか分からないと考えると、物欲や執着は失せましたね。
お金を、旅行や友人達との付き合いにばかり使うようになったは、震災以降のような気がします。
人も物も一瞬で失う時がある。

「いまを生きよう」

そう考えるようになった6年でした。

nice!(46)  コメント(15)  トラックバック(0) 

nice! 46

コメント 15

(。・_・。)2k

数日後の写真ってあんまり見ませんので
実際は こんなだったんですねぇ
江戸もガソリン買うのに苦労しましたからねぇ

by (。・_・。)2k (2017-03-12 01:41) 

hirometai

HIDEe様
おはようございます。
震災の時がこのような状態だったのですね。
ニュースや防災の広報で見るのと違います。
ありがとうございました。
ご無事でよかったですね。(^-^)
by hirometai (2017-03-12 04:15) 

たかぼん

ホントに凄い光景ですね。
関東でさえ物が不足していたのだから現場ではもっと大変でしたよね。
関東でもそろそろ地震が来ると言われているので、水は食料は蓄えておかないとダメですね。
by たかぼん (2017-03-12 10:47) 

johncomeback

拙ブログへのコメントありがとうございます。
あの日から僕も人生観が変わりました。
HIDeさんとは逆に物欲が増し、生きているうちに
精一杯楽しもうと思っています。
by johncomeback (2017-03-12 14:39) 

なんだかなぁ〜!! 横 濱男

あの時は仕事をしていて、外に飛び出しました。
長い間地面が揺れているので、何が起きているのか分からず、
怖かったですね。
自分も車はソロソロ20年になります。
まだ、走るし・・・長く付き合ってきたので、手放せません。。

by なんだかなぁ〜!! 横 濱男 (2017-03-12 14:46) 

いっぷく

当時、妻の知人が仙台に住んでいたので
食料や水を送りましたが、交通機関が麻痺していて
届くまでにかなりの時間がかかったことを思い出しました。
by いっぷく (2017-03-12 22:46) 

tarou

お早うございます、白浜桜の里にコメントを有難うございました。
伊豆は一足先に春でした(^^♪

私も、職場から家まで、9時間ほど歩いて
帰った記憶が有ります(~_~)

by tarou (2017-03-13 07:58) 

hana2017

はじめまして。
丸6年を迎えた3月11日。私も通常記事を書く気になれず、震災の日を振り返り書きました。
あの日を機に、価値観がも大きく変わり・・・物欲がなくなったのは同じです。
それにしても、本当に大変な思いをなさっていたのですね。
仙台は義父が生まれた土地だけに、結婚後訪れた回数は数えきれないほど。
あの後松島や塩釜へは足を運んだものの、前にも食べに行ったお寿司屋さんではテーブルの上まで水は来た。
でも石巻の方はもっと被害があったから…と。石巻港近くで美味しかったお寿司屋さんはどうなったか?怖くて探せない自分がいます。
名取、山元辺りの復興はまだまだの状況のようですね。

by hana2017 (2017-03-13 12:21) 

HIDEe

>(。・_・。)2k様
しばらくは瓦礫だらけの生活でしたね。
東京でもガソリンは手に入りにくかったんですか。

>hirometai様
この記事で何か感じていただけたのなら幸いです。
世間にはいろいろな写真等が出回ってると思いますが、私なりの物を載せてみました。

>たかぼん様
母がやたら買い置きする人だったので、私はあまり食料には困りませんでした。
それだけに多少の備蓄は必要だと感じましたね。

>johncomeback様
あんな状況を目の前で見てしまうと、変わらざるをえないですよね。
私も人生を精一杯楽しもうと思ってます。

>なんだかなぁ〜!! 横 濱男様
R34は良い車ですからねぇ、これからも大切に乗ってください。
私ももっと乗りたいんですが、状況的に厳しくなってきました。

>いっぷく様
震災後しばらくは物流が滞ってましたね、通れる道路も限られてましたので。
私もアマゾンに注文した物が、1週間以上かかった記憶があります。

>tarou様
9時間ですか、なかなかの距離を歩かれたようですね。
あの日は全国的に大変だったようですねぇ。

>hana2017様
私はまだ恵まれた部類だと思います。
沿岸部の知人には、もともと住んでいた場所に戻りたくても、自治体から許可が下りなくて戻れない人もいますので……。
松島や塩釜はかなり復旧しましたが、石巻や名取、山元町などはまだまだですね。
by HIDEe (2017-03-14 02:16) 

しゅわっち

津波の押し寄せるテレビの映画のような映像、今でも思い出せます。。
幸い当地は内陸なので津波による惨事はまぬがれることができました。
が、中途半端な原発被害に今だ悩んでおります。。
今を楽しく生きる、震災の影響だけではありませんが
我々夫婦も50を過ぎ、そんなことを考えながら生きております。
by しゅわっち (2017-03-14 12:24) 

HIDEe

>しゅわっち様
福島原発はいまだに収束してませんから、難しいですよね。
しゅわっち様も娘さん共々、今を大切に生きていただければと願います。
by HIDEe (2017-03-15 01:04) 

足立sunny

目の前がこれですと考えも変わるかもしれませんね。
自分は安全なところにいたので、そう変わらなかったのですが、震災をきっかけにこの世に何か足跡を残しておきたくてブログを始めました。
by 足立sunny (2017-03-15 04:53) 

tarou

お早うございます、熱海駅周辺にコメントを有難うございました。
最近、熱海は大きく変わり、
綺麗になって来ましたよ(^_-)

◆熱海秘宝館のHPもリニューアルされてました。
http://www.atami-hihoukan.jp/index.html


by tarou (2017-03-15 08:02) 

tarou

お早うございます、お宮の松にコメントを有難うございました。
日本にもこんな時代が有ったんですね・・・・
by tarou (2017-03-17 06:48) 

HIDEe

>足立sunny様
なるほど、足立sunny様は震災がきっかけでブログを始めましたか。
確かに、何か自分が生きた証というのは残したいですよね。

>tarou様
熱海は何年か行ってませんが、良くなってきたんですね。
熱海秘宝館も気になるし、そのうち行ってみたいと思います。
お宮の松、昔はこんなだったんですかねぇ。
by HIDEe (2017-03-18 00:40) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0